【インタビュー】 世界に挑戦し続ける日本企業 「arflex」

会社の危機

1978年4月に、親会社のヴァンヂャケット(VAN Jacket inc.)が突然倒産しました。
ヴァンヂャケット(VAN Jacket inc.)から出資を受けていたアルフレックスジャパンも少なからず影響を受けましたが、これをきっかけに会社の株式を100%保科正氏が取得。本格的に日本にオリジナルモダンファニチュアーを作るという理念を再確認し再出発します。ここから、ただ家具を売るのではなくライフスタイルを提案することを決意します。

80年代になると日本人のライフスタイルは大きく変わりました。85年のプラザ合意で、為替レートが260円から150円時代に変動し、海外への渡航がし易くなります。旅行や留学先で欧米の生活を経験した人々は、いつしかその生活に憧れを抱くだけではなく実際にその生活を実現してみたくなります。フレンチやイタリアンを食し、ファッションもDCブランドの流行でおしゃれな若者たちが増えます。衣食に満足すれば、次は住まいです。

81年にアルフレックスジャパンは六本木のアクシスビルに直営店を出店します。アクシスビルは当時、最先端の高級専門店が立ち並ぶビルで、かなり話題になりました。

 

日本人に合うモダンライフ

アルフレックスジャパンは創立当初から、他の海外ブランド代理店のようにイタリアから輸入販売するだけではなくオリジナル商品も作ってきました。やはりオリジナル商品を作ることができたのは保科正自身が家具職人として働いたからだと思いますよ、と保科卓さん。アルフレックスジャパンがイタリア生まれの日本育ちと言われる所以です。

 

川上元美NT

1977年に発売した川上元美氏のデザインによるチェア「NT」は、爆発的な大ヒットを記録しました。

 

A・sofa

1986年には日本人に合うモダンライフを考え、「A・SOFA」を開発、発売します。 「A・SOFA」 はベース本体とシートクッションを基本として、豊富なサイズバリエーションと張り地が選べるソファ。世界でも類がない発想で爆発的なヒットになります。
そのころから、ソファだけでなくキャビネットなどリビング関連商品も一緒に売れていきます。インテリアコーディネーターが活躍し始めた時期でもあり、リビング、ダイニング、寝室など生活空間をトータルコーディネートすることが定着し始めました。

今では、ライフスタイル提案型のインテリアショップは当たり前になりましたが、当時、婚礼セットの箪笥地場産業が大半だったインテリア業界で、これは画期的なスタイルだったのです。

 

CC09SONO

 

arflex
http://www.arflex.co.jp/

 

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(文:KEIKO YANO (矢野 恵子)  /  更新日:2014.03.23)

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