【フォト・レポート&レビュー】 ヘレンド展でみた東西の交差した文化にある器の価値観と美意識

 


【コラム】 
ハンガリー名窯 へレンド展でみた
東西の交差した文化にある
テーブルウエアの価値観と美意識

 


 

世界的なブランドの洋食器メーカーヘレンドの190年の歴史を俯瞰して見せる展覧会が、パナソニック汐留ミュージアムにて「ヘレンド展―皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」が、3月21日(水・祝)まで開催中です。

 

 


 

 

 

|100年出遅れた窯製作所誕生から世界の名声を得るまで


洋食器メーカーで思い浮かべるのは、ヨーロッパの王侯貴族を魅了した中国からもたらされた美しい磁器の生産にいち早く成功した、ザクセン公国のマイセン製作所や、フランス国王ルイ15世の庇護を受けて発展し、今日でもヨーロッパ磁器の最高峰の一つとして君臨しているセーヴル磁器製作所などが有名です。
 

中国や日本では箸で食事をした16世紀、ヨーロッパはまだ手掴みでの食事が一般的で、テーブルウエア文化は東洋がリードしていました。その頃東インド会社の貿易によって東洋からもたらされた豪華な色絵磁器や染付磁器は16世紀後半から17世紀に、バロック文化と同調して爆発的な人気を博します。特に強い権力と富を得たヨーロッパ各国の王侯・貴族や富裕な商人は争って美しい東洋の陶磁器を収集し邸宅に飾ってそれをステイタスシンボルにしました。そのブームは18世紀にも続きロココ文化に誕生したのがマイセン製作所やセーヴル磁器製作所です。ウェッジウッド、ロイヤルコペンハーゲンなども同時期に設立されたメーカーです。


ヘレンドはそれから100年あとの製作所です。100年出遅れたヘレンドは18世紀に製造された製品の補充・補修で素材や技術などを研究し蓄積しました。その頃の西洋窯は中国の五彩磁器や日本の伊万里焼の影響を受けているものが多く、ヘレンドも東洋の磁器を手本に失敗を繰り返しながら高品質な磁器の製作所へと発展していきます。

 


 

 

当時ハプスブルク家はオーストリア帝国とハンガリー王国で二重君主として君臨していました。両国は外交などを除いて別々の政府を持って連合するオーストリア=ハンガリー帝国で、君主がフランツ・ヨーゼフと皇妃エリザベート。因みにフランス革命(1789年~99年)の時、断頭台の露と消えたマリーアントワネットはハプスブルク家出身です。

皇妃エリザベートは外国からの多くの来訪者の目的が、皇妃をひと目見ることだったとも伝えられているくらい伝説的な絶世の美女でした。ハンガリーを愛し、多くの時間滞在した宮殿が「ゲデレ宮殿」で、フランツ・ヨーゼフは「ヘレンド」に宮殿用の食器を作らせ皇妃に贈ります。この絵柄は後に「ゲデレ」と呼ばれるようになります。

 

時は19世紀。ヘレンドの名声が世に知れ渡るようになったのは、当時各国で行われた世界万国博覧会の舞台です。1851年開催の世界初のロンドン万国博覧会では製品に魅了されたヴィクトリア女王がウィンザー城のためにディナーセットをヘレンドに発注しました。中国風の絵柄に蝶の舞うデザインは一般にも販売され、以後“クイーン・ヴィクトリア”シリーズと呼ばれ大流行します。

1867年のパリ万国博覧会は、日本の漆器や浮世絵などが初めて大々的に展示され、ジャポニスムが大流行のきっかけを作ったことで有名ですが、ヘレンドもここで「インドの華」を出品しました。ナポレオン3世の皇妃ウージェ二が後に「アポニ―・グリーン」のベースとなる「インドの華」のディナーセットを購入。ヨーロッパ貴族の間でヘレンドの製品は、ブランドとして広まっていきました。

 

こうして窯の世界では後発だったヘレンドは、19世紀後半、ヨーロッパを彩る三人の皇妃たちに愛され、独特の世界を築きました。まさに皇妃たちがその時代のオピニオンリーダーだったわけで、ブランド化のマーケティングに成功したのです。

 

 

「ゲデレー」ティーセット 

 

 

|王制廃止 国有化 そして今日の"匠の技"

各地の万国博覧会で多くの賞を獲ったヘレンドですが苦難な時代もありました。1946年王制が廃止されハンガリー共和国(第二共和国)が成立し共産化の影響が色濃く残る社会主義時代に一旦国有化されます。伝統的な価値観や表現が禁止され贅沢品より実用品が優先されて日用品を多く出荷する時代です。ですが、そんなときにも新しいデザイナーを採用し、独自の様式を創作する活動は続けていました。国内の博覧会に新作を発表するなどして芸術の分野では独立性を保ちながら「ヘレンド」窯は残存しました。やがて、1992年政治体制の転換で再度民営化されましたが、またもや世界から30年出遅れての再出発です。そして今日へと続きます。



シンプルでモダンなティーセット
 

ヘレンドは産業革命が進行する時代に誕生しましたが、機械では再現できない"匠の技"にのみ価値を見出してきました。白く透明度の高い磁器の素肌に、独特な絵付けとフォルムを持ったヘレンドはその手仕事ゆえに、今や貴重な存在となりました。

工場管理の技術などは、最新鋭の設備を完備していますが、"ヘレンドの拠り所"である価値創造の部分はすべて手作業です。工場生産システムで、とっくに失われた"匠の技"が19世紀そのままのスタイルで、当たり前のように保存されているヘレンド。

熟練した匠の指先から蝶のように花びらが舞いだして、それらが満開の薔薇の花びらように丁寧に造られる手捻り技やスパゲッティのように長い紐を作り、まるで魔法のように組み合わせて作ってゆくスパゲッティワーク、繊細さと根気を要するオープンワーク(透かし彫り)の技など、創作には熟練した高度な技術、才能、経験など手作業でなくてはできないものがいまでも伝承されています。
 

一方、このような古典的な技法の製品だけでなく、近代的でモダンな製品やシノワズリー製品も数多く発表しています。会場には古典的な製品からシノワズリー、モダンな製品まで展示されていて、ヘレンド製品のクオリティの高さと型にはまらない様式の多さに驚かされます。



熟練した匠の手捻り技、長い紐のスパゲッティワーク、オープンワーク(透かし彫り)の技が詰まった製品展示

 


シノワズリーの壺


古典柄だが取っ手とつまみはマンダリン(官吏)と呼ばれる唐子
 


モダンなティーセット
 


現代風の置ものと壺

 


会場に展示された現在のヘレンドのテーブルウエアコーディネート

 

ヘレンドは、21世紀の今日、創業以来の伝統を重んじ、ハイクォリティーな手作り・手描きの磁器を現在も作り続けて、テーブルウエアからアクセサリーなどそのファッショナブルな魅力を多彩な世界で展開しています。まさに、ヨーロッパの洗練とエレガントさ、そして、東洋の繊細で豊かな味わいが出会い生み出された磁器がヘレンドなのです。
 

展覧会会場には、時代とともに変わる経営者と作風の歴史が全7章で構成され、そこには100年出遅れて、政治体制転換によってまた30年出遅れたヘレントが、どんな苦境に陥っても、開発、養成、技術革新などたゆまない努力を坦々と重ねていき、古くからある古典的な製品とアーティストによる新作を繰り返し発表することで、世界に挑戦してきた歴史が展示されていました。
 

ヨーロッパ各国は衣料や日用品、家具の消費財によるクール戦略を第2次大戦後すぐに始めて、多くの伝統工芸技術製品のクール戦略に成功しています。一度築きあげたブランディングは戦争ごときでは信頼を失いません。ブランディングされた製品はその国の経済発展に繋がります。
 

16世紀までテーブルウエア文化は東洋がリードしていました。ヨーロッパの窯メーカーにシノワズリーシリーズがたくさん存在するのもその成果と言えるでしょう。西洋では美しい絵付け皿に似合うフォークやナイフが一般使いとなった頃、テーブルウエア文化が開花しましたが、東洋では早くから箸での食事マナーが広がっており、とくに日本では陶磁器以外に漆製品などすぐれた技術の美しいテーブルウエア製品が多く存在します。

ユネスコ無形文化遺産に登録され、世界で一大ブームをまき起こしている「和食」。同時に和食器もミシュラン取得のお店で取り入れられたり、作家や日本のテーブルウェアメーカーが海外の作品展や展示会に参加して高い評価を得ています。日本のテーブルウェアを世界に発信できるベースは出来ています。


文化価値があり生活に彩を与える美しい器は人々の心を癒します。渇いたのどに甘い蜜をあたえるかのように無機質な空間に潤いを与え空気を換え、そのとき過ごす時間が何倍もの価値に変わります。西と東の文化、価値観、美意識が内包されているからこそ、その本当の美しさと価値を知った人々は常にそれを追い求めます。それが感じとられる展覧会です。

苦境の時代を乗り越えながらも匠の技を伝承することで世界的なブランディングに成功しているヘレンド。是非この展覧会ですばらしい世界の匠の技の製品をご覧ください。
 

 

【開催概要】
「ヘレンド展―皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」 
会期:2018年1月13日(土)~3月21日(水・祝)
会場:パナソニック  汐留ミュージアム
        東京都港区東新橋1-5-1  パナソニック東京汐留ビル4F → map

 

 

 

 

 

 

 

(文:KEIKO YANO (矢野 恵子)  /  更新日:2018.01.30)

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