もう一歩深く知るデザインのはなし~茶室×光


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2畳という極小の空間に、光の当たり方を計算して配置された窓。vol6、7で取り上げた「待庵」は利休の「わびさび」の理想や超人的なセンスがいかんなく発揮された、美しい、しかし緊張感のある空間でした。

利休は「自分の死後、茶の湯は堕落する」と予言したそうです。実際、彼がいなくなったことで茶の湯は大きく変わりました。それは「利休の後継者」と呼ばれる古田織部(ふるたおりべ・1544〜1615)の作った茶室によくあらわれています。織部は、戦国時代の終わりから江戸時代のはじめにかけて活躍した茶人です。利休を尊敬し、その茶を深く理解していましたが、そこに自らの独創性や時代の空気を加えて、新たな茶の湯のスタイルを作りました。織部の代表作は、京都の藪内家に残る「燕庵(えんなん)」です。ここでは、この燕庵の室内空間についてみてみましょう。

燕庵が待庵と大きく違う点は多くあります。どれも茶の湯の変化を語る上で大切なことですが、この記事で注目したいのは2つ。「窓が多い」ことと、「窓の配置が視覚的にデザインされている」ことです。

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明るく、くつろげる空間へ

1つめの「窓が多い」ことについて見てみましょう。燕庵の茶席には合計で10カ所もの窓があります。
利休は室内に入る光を抑制しました。その結果、待庵は全体に暗く、自分と向き合うことを促すような、神秘的な空間になったのです。それに対し、織部はもっと明るくおおらかな空間を目指して窓を多く開け、たくさんの光を取り入れました。

特に亭主の座る場所である「点前座(てまえざ)」には、連子窓(*1)と下地窓(*2)、風炉先窓(ふろさきまど)(*3)が開けられ、1畳足らずの点前座付近の、小さな壁2面に3つの窓が集まっていることになります。
これは開放感を出すことの他に、亭主に光を当てることで、茶を点てるという「パフォーマンス」を華やかに演出するのが狙いと言えます。見た目にとらわれることを戒めた利休は、こうした分かりやすい演出はしていません。

*1 下地窓…土壁の一部を塗り残して、格子状に組んだ竹などの下地を見せた窓。室内側に障子を掛ける。
*2 連子窓…敷居と鴨居を取りつけ、細い角材を縦または横に一定間隔に打ちつけた窓。
*3 風炉先窓…亭主の手元を照らすための下地窓。

 


ennan_shikishi2.jpg舞台背景としての窓

2つめの「窓の配置が視覚的にデザインされている」ことについて、ここでも特に点前座の壁に注目してみましょう。中心軸を少しずらして上下に連子窓と下地窓が配置され、室内空間の風景にとても心地よいリズムを与えています。これは「色紙窓(しきしまど)」と呼ばれ、織部が考案したと伝えられています。ここでは窓は単に採光のためだけのものではありません。曲がった赤松の柱と絶妙に組み合わさって、室内の眺めを美しく、面白くする「舞台の背景」のような役割を果たしています。この色紙窓の前に亭主が座り、静かに茶を点てるのを想像すると…確かにとても映えそうです。ぱっと見てみんなが「あ、なんかおしゃれ」と思えるようなストレートな格好よさですね。「(自分の美学が)わかる人だけわかればいい」と、少し突き放したところがあったらしい利休とはやはり対照的です。

 

この記事では、紙面の都合もあり点前座付近のデザインのみについてお話しましたが、ほかにも床の間の掛軸を照らすための墨蹟窓(ぼくせきまど)や、貴人が訪れた際に従者が待つための場である相伴席(しょうばんせき)など、織部の時代になってから加わった要素は多くあります。しかし光の扱い方という観点では、上で述べた色紙窓のある点前座の風景が、もっとも燕庵の特色をよく表していると思います。


次は茶室シリーズ最終回。利休から織部へと受け継がれる過程で茶の湯が大きく変化した、その背景を考えてみたいと思います。

 


 

 

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(文:maki  /  更新日:2012.08.12)

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